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愛犬を亡くしたみなさんへ

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愛犬を亡くしたみなさんへ     by little-K

前の投稿 : 次の投稿 | 親投稿 : 子投稿.1 | 投稿日時 2008-9-24 10:42 | 最終変更
最愛の相棒のネイトが逝って早や1年がこようとしています。
愛犬を失うことは誰にだって辛いことです。


それはプロであっても普通の飼い主であっても同じなのです。
心の傷は、どれほど相棒と楽しく暮らしていたかと愛情の深さで傷つく度合いも異なると思います。


私もこの1年の間に何度も「もう1度ネイトを撫でてあげたい。彼のぬくもりを感じたい。」と思ったでしょう。


神様は、私たちに限りある命を与えました。
私たちは必ず死ぬのです。


それでも今を一生懸命に生きるのは、哲学上では大きな矛盾と言われています。

死ぬために生きてきるという最大の矛盾を生きとし生けるものは、忘れようと努力しながら生きていると言います。

相棒の死は、そんな忘れようとしていたことを思い知らせる出来事でもあります。


私だけでなく、私の周りにいる愛すべき友や仲間と、いつの日にか永遠のさよならをしなければならないのです。


だからこそ、精一杯に生きるのかも知れません。

愛犬を失う悲しみは計り知れないものです。

誰もその悲しみを理解できません。
当人だけしかわからないことなのです。


でも、悲しむ自分の姿を見て、誰かが悲しんだり、苦しんだりするのです。


「あの世のことはあの世に逝った人に任せて、この世ではこの世の人のことを心配しないとね」と友達が私に言ってくれた言葉です。


私が暗く悲しい時間を過ごしていると、それを心配する人を作ってしまうと思ったとたんに、ネイトを亡くした悲しみよりも今を一生懸命に楽しみながら生きようと思うようになりました。


「いずれネイトと同じところに自分も行くのだから、それまでにネイトに語ってやれる話を増やしておかないと」と思うようになりました。


生きることも、死ぬことも私たちの自由にはなりはしない。
でも、生きてる間の楽しみは自分で作ることができることを私たちは忘れてはいけないのだと思います。

先に逝った犬も、後に残した飼い主を不幸にしたいと思うことなどありはしないのだから。


無理に忘れようとしなくても、時間という流れが静かに優しく忘れさせてくれるので、その流れに任せるのが1番いいと思う今日この頃です。

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