先日、ケーブルテレビで、とても興味深い内容をやっていました。
タイトルは、「なぜ犬は笑い、チンパンジーは泣くのか?」というものでした。


長い間、私たち人間は、動物には自分たち人間のような感情を持ち合わせていないと思い込んでいました。

それは、感情は数値では表せないので、動物たちが何をどう感じているのかを知る術がなかったからです。



人と同じような声帯を持っている生き物は存在せず、共通の言葉を覚えさせてコミュニケーションを取ることが不可能だったからです。
人間だけが豊かな感情を持ち合わせているなどあり得ないと心理学者は言います。

ある心理学者は、チンパンジーの手先の起用さを利用して、手話を教え、共通の言葉を持つことを可能にしました。
1頭のチンパンジーから始め、新たに4頭のチンパンジーには人間が、1頭のチンパンジーには、最初に教えたチンパンジーが教える形で手話を通じてチンパンジーと会話することを可能にしたのです。

動物は体験学習しかできないということも、このチンパンジーが本を見て、お菓子のことを科学者に話すことで間違っていると知ることができていました。

チンパンジーは楽しいこととか、悲しい時にハグして欲しいと科学者に伝えていました。


また、感情は高度な生き物しか持てないと思われていましたが、群れで生きる生き物は恐れ、攻撃、子作りに励むなどの中の感情は、自然界は生き抜くために必要な感情であるといいます。

生き残るためには、頭で考えていたのでは遅すぎるのです。
感情を最大限に働かせて切り抜けなければ危険を回避できないからです。


動物たちに私たち人間と同じもしくは、私たち以上の感情があると、どうして思えないのでしょうか?

犬を見ている限りでもKYな人間以上に相手に対しての心使いがあると思うことが多々あります。


思いやり、母性、優しさを動物を通して感じることが私には何度もありますが、この頃の情けないニュースでの虐待や暴力を見ると動物の方がずっと良い感情を持っているのではいかとすら思えます。


動けなくなった子象を姉と母象が必死でかばう姿、シャチに襲われて殺された自分の子供をいつまでも呼びつづける母アシカの姿など、その相手に対する気持ちは私たち人間以上ではないかとすら思えました。


手話を覚えて、人と会話できるチンパンジーが飼育舎を自然を取り入れた素晴らしいものに変えてもらった時に、科学者にお礼を言っている姿は、イマドキの礼儀知らずな若者よりも立派に見えました。


いつの間にか、私たち人間は便利や快適を追及するあまり、感情をどこかに置き忘れて、動物以下になり下がったように思えてしまいました。