先日から「言いたい放題」のコーナーがたくさんの方からの貴重な意見でにぎわっています。

ある方からのご意見について、私だけでなく、たくさんのこのHPをご覧になっている方たちが、それぞれのご意見を出させるきっかけになったのだと思います。

これほどに反響を呼んだ内容が興味深いものでした。

「犬は、どんな時も他の犬と仲良くするべきか?」と言うことだと思います。

「犬は、群れをなす生き物なのだから、犬同士で仲良くするのは当たり前。他の犬と仲良くできないのは、社会化ができていないからだ。それは、その行動を治さない飼い主の怠慢だ。」 そんなご意見に対自分なりに理解しているところでした。


犬には、それぞれの性格があります。怖がり、引っ込み思案、怒りんぼ、威張りんぼ、能天気、楽天家などなど、人と変わらずいろいろな性格を長い指導の仕事の中で出会う犬たちから教わってきました。

良い性格の犬たちは、残念ながら私の仕事の中では、あまりお目にかかることはありません。飼い主さんが大切なお金や時間を使ってまで、何かしたいと思ってはおられないからかと思います。

中には、「飼い主が自分がそんな犬にしたと勘違いしているだけ。単に犬の性格が自分の思っているのと同じだった」と言う方もおられますが、とにかく、良い子は、通ってまでなんとかしようと言う気にはならないと思います。

犬の性格を変える必要があるのか? それは可能なのか? 自分のことで言うなら、悪いところは改める必要があると思います。でも、「直せているか?」と聞かれたら、「いやぁ〜、なかなか直せんものですね。へへへっ」って答えると思います。

「自分ですらなかなか難しいことを犬にさせるってどうなの?」と思ってしまうのです。 まして、何かモノや音に対しての過剰反応を治すことと、他の犬とのコミュニケーションでの反応を変えてしまうことを同じように考えることについても違っているように思えます。

まして、自分の思う反応以外は「悪い」というレッテルを貼ることについても大きな間違いであると思うのです。

これは、人の心の奥にある動物観の問題であるかも知れません。ヘブライ思想の人間支配、ギリシア思想の人間優位の考え方のもとに、「家畜は人間が作り出したもので、人の思うように操作できる」という思いからきているのかも知れません。

それならば犬の福祉を考えるべきではないでしょうか?
食事、病気予防、治療など衣食住に関することには結構うるさいのに、犬の犬らしくすることへの理解についてはあまり考えられていないように思えてなりません。


私が常日頃から言っている、「犬の言葉を理解する努力]思えば、問題犬とレッテルを貼られる犬のほとんどは、犬に問題があるのではないことに気づいてもらえると思うのです。


犬に犬らしくさせるということは、犬を擬人化したり、自分の理想を押し付けたりしないで、そのままの犬を受け入れることが犬の幸せにつながると私は信じているのです。

犬の福祉がもっと表にでるように努力したいと考えています。