はじめに
クリスマス会で犬達のコミュニケーションセッションを初めてやりました。
個人的に犬同士のセッションは、何度もやっていましたが、愛護センターで20頭以上の犬を入れてするのは、初めてです。


犬を自由にする前にゲームで半日以上も同じ場所にいた犬達ですし、私がその場所を管理することで、問題なく犬達のコミュニケーションを良い方向に向けて終了することができました。


犬同士のセッションをするには、ドッグコミュニケーションのトレーニングのできた犬でなければうまくは行きません。


つまり、犬同士の会話ができる状態でなければなりません。
今回も飼い主に私が指示を出し、犬同士のコミュニケーションに極力介入しないように管理しました。


リードをつけていることでの犬の葛藤やフラストレーションにも注意を払い、小競り合いが起きても問題がまわりに波及する前に抑えました。

こうした管理の下で行っていたからこそ、犬達は、犬同士の会話を楽しみ、コミュニケーションをはかることができたと思います。
 
 
 ドッグランについて
しかし、巷にあるドッグランには、誰も管理する人がいなかったり、不特定多数の犬が集まり、犬の中には犬同士の会話のできない犬がいたりして、一生懸命にシグナルを出していたのに無視されて、会話が意味をなさないと思うようになった犬がたくさんいます。


また、正しい犬としての反応をしても、それを攻撃と受け取られて、飼い主に理不尽に叱られたり、他人から攻撃的な犬とのレッテルを貼られてしまったりと問題が多く聞こえてきます。


また、単に飼い主が楽をしたいだけのためであったり、犬の管理を怠って、自己満足的に利用する人も多く見かけます。
犬を放して、犬を管理せずに人とおしゃべりばかりしている飼い主や、何かあって犬を呼び戻そうとしても全く犬がもどらない状況もよく見ます。


なんのためのドッグランなのでしょう?
犬は、自由になれば喜びます。
当然でしょう。


それを与えてやれると喜ぶ前に考えて下さい。
自由になる喜びを知った犬は、反対にリードにつながれることは嫌なことだと学習するかも知れません。



散歩を外国のようにいつも広い場所で自由にさせてやれるならいざ知らず、都会のリードで犬の安全を確保しなければならないところで、そんな経験を漫然とさせているとどうなるかを考えて欲しいと思います。
 
また、ドッグランではないところで犬を放し、他の人に迷惑や恐怖心を与えて平気でいる飼い主は、飼い主として社会に犬と自分を受け入れてもらう責任を放棄しているとしか思えません。


それどころか、大きな危険性をはらんでいるのです。
犬が他人を傷付けることで裁判になった例はいくつもあります。
・ あなたに、愛犬が飛びついたために他の人に支払わなければならない数百万の
  お金が出せますか?
・ 相手が「犬を始末しなさい」と言ったら安楽死させることができますか?
いろいろな問題が生じるドッグランを、私は生徒さんに勧めることはできません。
 
私自身もあまり使いません。
誰もいないなら犬達と思いっきり遊ぶでしょうけど・・・。
 
 
 最後に
社会化と称して、何もわからない人が犬同士を合わせることが、どんなに危険なことかを知っておいて下さい。
ご自分がご自分の責任において、ドッグランを利用することに関して、意見する気持ちはありません。


しかし、ある公園では、ランニングしていた人に飛びついてケガをさせて、逃げた飼い主の代わりに警察に逮捕された飼い主がいました。
その公園で毎日犬を放していたのです。